引用:「ののはな通信」三浦 しをん【著】
「のの」と「はな」ふたりの手紙のやりとりが517ページに及ぶ三浦しをんさんの長編。昭和の高校時代の手紙から、大人になった2010年代のメールまで、約30年の時を経て、ふたりの変わらない部分と変わっていく部分のバランスが絶妙でどんどん吸い込まれていきました。
小説を読んで~気づき・学び・感想
この小説の感想文を、30代に片足つっこんだ程度しか生きていない私がスラスラ書くのはとても難しい。どんな言葉で綴ってもしっくり表現できなさそうで、どんな言葉であらわそうにも物足りなさそうで。それくらい、深く深く考えさせられる内容です。
32歳の今、この小説を読み終えて思うことは「愛の深さ、重み、“生きる”とはどういうことか」。出てくる言葉に共感するより、人生において未知のことを教えてもらうことの方が多かったように感じます。
だから、5年後、10年後、20年後と、この小説を読み続けたい。
初めてお酒を飲んだとき、ビールすら苦く美味しく感じられなかったのに、歳を重ねるにつれて他のお酒の味も楽しめるように。今はまだちゃんと理解できないところも多いけれど、人生経験を積んでいく中で長く味わっていきたい。
ののはな通信の言葉たちは、今後の人生で経験するであろうあらゆることの伏線となって、後に大きな気づきをくれると思う。歳を重ねるごと読み直し「ああ、こういうことか」と答え合わせができたらいいなと思う。
ののとはなへの手紙
さて、ここからは「ののはな通信」風にののとはなに手紙を書いていこうと思います。
ののとはなの手紙と同じくらい、長い文章で(笑)
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野々原 茜様
牧田 はな様
同じ学校、同じクラスにいるのに毎日手紙のやりとりをすること、お二人のやりとりを拝見して私自身の中学時代を思い出しました。私が中学生だった2000年代でも、女子たちの間ではお二人のように友達同士で手紙交換をするのが流行っていたんですよ。毎日学校で会えるのに、しかもその時代にはすでに携帯やPCでメールも送り合えるのに。手紙を書き始めると話したい事があふれてしまう気持ち、とても懐かしく思い出します。
授業中に返事を書いたり、教師の目を盗んでメモを回したりするのもやりました。
それにしても、お二人は郵便ハガキで送り合っていたのですね。速達もよく使っていたようですが、郵便代かなりかかったでしょう。1ヶ月でどれくらい郵便代がかかっていたのかちょっと心配してしまいました。大きなお世話かもしれないけれど、円高が激しい令和ではお金に敏感なのです。私が中学生のころは、手紙を書いたら直接学校で手渡ししていたから特にお金はかかりませんでした。強いて言うなら、文房具にお金がかかっていたかも。書くと文字がぷっくりするペン(通称プクペン)や、匂いのするペンや、キラキラのラメペンを使って手紙を書くのが、当時の女子中学生の間でブームだったのです。
お二人のやりとりを拝見して、本当に仲の良さが伺えました。純粋なお二人のやり取りは、見ているこちらをも幸せな気持ちにさせてくれます。ただ、その逆も然りで、お二人の悲しみや苦しみ、怒りや憎しみまでも、痛いくらい胸に響きました。お二人からは、恋愛で味わう最上級の天国から、最も残酷で恐ろしい地獄まで、一気に見させてもらったような気がします。
お二人がお別れし、高校を卒業して大学生になって、社会人になって20年以上の時が経っても、ずっとやり取りを続けてこられたことには感服いたしました。昭和60年代の郵便ハガキから、2010年代では国境を越え、海を越えてメールで通信し合うようになったことに時代の変化を感じながらも、お二人の間には変わらない思いも見て伺えました。
お互いに新しい恋人ができたり、はなさんが結婚したり、それぞれが別の人との「愛」を経験しても、お二人の心の中にはいつもお互いが強く存在し続けていました。おふたりが交わす言葉から、「愛」や「生きる」とはどういうことかを教えてもらったつもりですが、お二人と共鳴し合うにはまだまだ私は経験不足だなぁと感じます。
一番に愛しているからこそ信じたい気持ち。一番に愛しているからこそ憎んでしまう気持ち。人を愛するって一体どういうことなのか、今の私はまだぼんやりとしています。
もし本当に魂と魂が強く惹かれ合い愛し合えるのであれば、植物のように言葉なんてなくても、存在するだけでうまくいったのかもしれませんね。言葉があるせいで人を傷つけ、誤解が生まれ、愛だの恋だの人生だのについて、こうやって面倒に考える必要もなかったでしょう。
でも逆に言えば、お互いに言葉をもち、考えや思いを馳せられるからこそ愛の存在を知り、植物や物質ではなく「ひと」として生きる希望を持てるのではないかと思います。
今後の人生で、どんな出会いや別れがあるか全く想像つきませんが、いつかお二人の仰っていたことを理解できる日が来るのでしょうか。今の私はまだ、お二人が仰る「愛」や「生きる」の意味を正しく理解し胸の中にしまうには、キャパシティが足りません。
それくらい、あなた方お二人は、愛の深い方でした。大きすぎて深すぎる「愛」をたくさん見せてくれて、ありがとうございました。