百花┃川村 元気【著】あらすじ・感想—蘇る記憶と親子の愛

小説

認知症の母と息子の物語。過去のわだかまりを感じながらも、忘れていく記憶と蘇ってくる記憶で、大切なことを思い出していく。親子の愛を感じさせられる物語でした。


百花 (文春文庫)

あらすじ

泉と百合子の親子関係は、泉が小学生の頃に1年間の“空白期間”があった。
母の百合子が認知症で記憶をなくしていく一方、息子の泉は忘れようと封印してきた“空白期間の記憶”と再び向き合うことになる。
認知症の母と過ごす中で、息子は母との大切な記憶をよみがえらせていく。
母と息子の親子愛・絆を見させてくれる家族小説。

小説を読んで~学び・気づき・感想

もし自分の親が認知症になったら。
どんどん記憶を無くしていく姿や、どんどん変わり果てていく姿を見て、その現実とどう向き合っていけるのか。

認知症というものが、将来自分の家族にも起こるかもしれないものとして、自分ごととしてこの小説を読み、映画を観ました。

親や身近な人であるからこそ、認知症で変わってしまった姿を受け入れられずにイライラしたり、煩わしく感じてしまうのだと思います。というより、計り知れないほどのショックや怖さがあるのだと思います。

何で忘れちゃってるんだよ。
何でそんなことするんだよ。
何を言ってるの?意味わからないよ。
もういい加減にしてよ。

加えて、もし親との思い出が良いものばかりではなく、過去に悲しい思いをした記憶があったのなら複雑な感情にもなると思います。

許せない。でも、許さなきゃいけない。
信じられない。でも、信じてみたい。

忘れたい。封印したい。でも、ちゃんと向き合わなきゃ。

そんな泉の複雑な心の葛藤が見え隠れし、何が正しいのか、どうすることが善なのか、考えさせられました。

 

家族が認知症で忘れてしまうことに対して、「なんで」「なんで」と責めるように当たってしまうけれど、本当に忘れてしまっているのは、他の誰でもない自分自身なのかもしれません。

「人間は体じゃなくて記憶でできている」ということ。

認知症で頭の中の記憶を無くしたとしても、感情や感覚はずっと覚えているものなのだと思います。

人間の記憶には2種類あって、そのうちの1つが「手続き的記憶」。たとえ認知症で記憶がなくなっても、本当に忘れたくない大切なことは本能レベルで体に染み付いているのかもしれません。

 

「半分の花火が観たい」と何度も子どものように駄々をこねる百合子を、最初は全く理解できなかった泉。

でも、百合子にとっては本当に大切な記憶として感情が覚えているから、だからこそ泉にも思い出してほしくて何度も伝えていたんだと思います。

泉が、百合子の訴えの意味にやっと気づくことができた時、封印してきた記憶が一気に蘇り、紛れもない親子の愛情と絆がそこにあることを確信し、

やっと繋がった…!と合点したのと同時に、安心と感動を覚えました。

 

大切な人が忘れてしまうこと、変わってしまうことはショックだと思います。
でも、人間の記憶は頭の中にあるものだけではないし、一人だけのものでもないのです。

たとえ本人の頭の中からなくなっても、五感を使って思い起こし、身近な人間がその意思を受け止めていくことで、大切なものは多くの人の記憶となって、次の世代へとずっと結ばれていくのだと思います。

認知症で記憶をなくしてしまう以上に、親子の一途な思いに感動しました。

 

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