わたしの美しい庭┃凪良 ゆう【著】あらすじ・感想—周りとちょっと違って何が悪い

小説
誰かに証す必要なんてなく、わたしはわたしを生きていけばいい。
引用:「わたしの美しい庭」凪良 ゆう【著】

自分自身は幸せだと思えているはずなのに、周囲の雑音に心をかき乱されることってあると思います。

恋愛していないと、「恋人は?」
いい年齢になって独身でいると、「結婚は?」
結婚した後になると、「子どもは?」

この物語は、自分は自分のままでいい、自分を認めて生きていきたい人の心を救ってくれる小説です。


わたしの美しい庭

 

小説のあらすじ

小学生の百音と統理はマンションでふたり暮らし。時々、同じマンションに住む路有が遊びに来て一緒にご飯を食べたり、日々彼らなりに楽しく生活していた。

百音と統理は血のつながりがなく、ある事情により一緒に暮らすようになったが、それを「変わっている」「かわいそう」等と思う人もいた。

彼らが住むマンションの屋上には、“縁切り神社”という小さな神社がある。縁切り神社には心にさまざまな事情を抱えた人たちが訪れ、断ち切りたいことを形代に書いてお祓い箱に入れていく。

「変わっている」等という周囲からの勝手な哀れみや世間体などから解放され、自分は自分のままでいいんだと思わせてくれる物語。

小説を読んで~気づき・学び・感想

周囲の人間関係の中で感じる「生きづらさ」、その中でそれぞれの人物が抱える気持ちに、リアルに共感できるところがたくさんありました。

世の中はいろいろな人たちの思いやりの上で回っていて、生きていけるんだと思います。でもそれ故に、皮肉にもその「思いやり」が自分にとっては気鬱と感じられたりもする。

この物語には、人を故意に苛めたり意地悪をするような、悪人は一人も出てきません。ただ、相手のことを“想像”して発した言葉や視線が、無意識に傷つけることもある、ということを気づかされました。

大多数=普通ではない。

人と同じことだけが正解じゃない。何を幸せに感じるか、何を良しとするか、何を許せるか、何が好きか嫌いか等、解釈は人それぞれ。

周囲を避けて人生は生きられないけれど、周囲の人たちと接する中で感じる悪や気鬱は、あくまでもその人の解釈でしかないから、囚われなくていい。

世の中、ゴシップが好きな人が多いんだと思います。

よく知りもしないのに、勝手に想像して「あの人は性格がキツイから結婚できないのよ」とか、「あの人は末っ子だから甘やかされてきたのよ」とか、「ゆとり世代だから責任感がないのよ」とか。

でも、そんな偏見に傷つく必要なんてない。
だってそれは、❝事実❞じゃなくてその人が勝手に思っている❝解釈なだけだから。

人から何を思われたり言われようと、人それぞれに解釈があっていいのだから、せめて自分は自分を認めて堂々と生きていく方がいい。

何かと人と比べられたり、評価されたり、焦ったりすることも多い世の中だけど、「自分がどう感じるか」をもっと大切に。

周囲に影響されて自分の気持ちをまやかし、自分で自分を苦しめることがないように生きていきたいと思いました。

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